卒業式に思う~少年野球道~

 

春季大会決勝から一夜明けた24日、

八王子市では大半の小学校が卒業式となりました。

我がリーグの野球小僧達も晴れて、小学校を卒業いたしました。

4月から学校は中学校へと上がる最上級生ですが、

リトル生活はアメリカの暦に準じてあと数カ月、夏まで続きます。

 

小学校6年間、長いようで実際にはあっという間。

愚息が野球を始めた頃(小1)がついこの間のことのように思えますが、

身体も心も別人のように大きくなった卒業式の姿に驚いてしまいます。

 

さて、子供は放っておいても大きくなる、なんてことを良く言いますが、

実際には、「どんな環境で、どんな人達と出会うか?」

それによってどんな風に育つのかは大きく違ってくると思います。

 

 

子供に野球をさせている保護者にとって、

その理由は家庭により様々かと思います。

でも「野球を通じて”強い心”を養って欲しい」

そう思うのは全ての保護者に共通したものなのではないかとも思います。

 

教育と言えば、学校の専売特許なのかもしれませんが、

少年野球という場は、私達保護者からすれば、

まぎれもなく「教育の場」でもあります。

 

野球を楽しむという環境の中で、

秩序、ルールを学び、

切磋琢磨し、

工夫、努力を積み重ね、

一つづつステップを上がり、

目標とすべきことを実現していく。

そうした過程を友・仲間と共に励ましあいながら歩む。

アメリカ型のベースボールとはちょっと違うと言われる

日本式の野球、野球教育の現場というのは、

まさに「少年野球道」といった趣があります。

 

それは同時に「大人になる」ための

とても望ましい準備でもあるとも思います。

 

「大人になる」ということは心理学の上では・・・

「困難に向かって、自ら決断し、その行動に責任を持つこと」

同時に

「他者を愛する力を持つこと」

なんだそうです。

(自分さえよければ人のことはどうでもいい、なんて人間が多い時代、
大人であろう端くれの一人として耳の痛い定義ではあります・・・)

 

とすれば、少年野球という環境は

子供達を真っ当な大人に導く「ゆりかご」に最適!

私はそんな風に思ってます。

 

また、管理人はリトルリーグを少年野球の最高峰だと思っています。

硬球を使うリトルでは、

一つの間違い、不注意などが取り返しのつかない事故に繋がる。

だからこそ、それに携わる大人も、

もちろん子供達にも常に”真剣さ”が要求される。

硬式野球というのは剣道で言えば「真剣の世界」と一緒です。

世界大会まであるワールドワイドな運営規模、

子供に必要以上に負担をかけないよう配慮された様々なルール、

それは、子供なりの「真っ向勝負」ができる世界。

だからこそ、志の高い子供達も数多く集まるのだと思います。

 

春季大会、準決勝戦。

昨年のワールドチャンピオンを相手に、

キリキリと胃の痛むような展開。

終盤、一人のバッターが代打に起用されました。

秋までは Bチームに所属した6年生。

春の大会を前に監督に呼ばれたそうです。

「Bチームならスタメンの可能性が高い、

Aチームだとレギュラーになれるか厳しいだろう。

でも、君の希望があればそれを優先したい。」

監督からの問いかけに、

彼は迷わず「Aチームで勝負したいです!」と答えた。

 

代打に起用された彼はまるで鬼のような形相。

粘りに粘って、

結果は、

「フォアボール!」

「ヨッシャー!!!!!」

拳を握りしめて吠えた顔はまさに鬼神。

普段ののんびりとした温厚な姿とは本当に対照的でした。

彼のフォアボールが得点に結びつくことはありませんでしたが、

彼の闘う姿勢がどれだけ仲間に勇気を与えたでしょう。

 

結局、彼がこの春季大会で登場したのは、

そのたった一打席のみ。

 

野球小僧なら誰だって試合に出たいし、活躍したい。

でも、より高いレベルを目指して努力し、

仲間のために、そして自分自身のために、

渾身の力を振るう。

例えそれが一瞬のことであっても。

 

彼は自分自身で決断し、

困難に立ち向かい、その責任を全うしようとした。

まさにこれは「大人になる」というステップそのものです。

 

エース・コウノスケを筆頭に、

多くの子供たちがこの春大活躍を見せてくれました。

でも管理人の個人的な春のMVPを選ぶとしたら、

たった一度の代打にかけた、

ダイチがMVPです。

 

少年野球は教育の場でもある。

そうした少年野球道において最も尊重されるべきは、

ダイチが今回見せてくれたような、

「心の成長」に他ならないのではないでしょうか。

 

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「日に新たに、日々に新たに、また日に新たならん」~大学

私たちは,明日の時間を今使うことはできないし、
昨日の時間を取り戻すすべもない。
大切なのは「今日」というこの時。
このことを積極的に言い表したのが「日新」というこの言葉。
昨日も明日もない。
新たに今日という一日に全力を傾ける。
そうすれば、新しい自分が次々と顔をのぞかせてくれる。

~正しき者は強くあれ~土光敏夫

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