7月4日はアメリカ独立記念日であると共に、
MLBではルーゲーリック感謝デーでもあります。
ルー・ゲーリックはMLB、ニューヨークヤンキースの伝説的プレーヤー。
ベーブ・ルースとほぼ同時代を過ごし、
ベーブ・ルースが3番、ルー・ゲーリックが4番を務めることが多かった。
1925年から39年までの14年間に渡り2130試合連続出場をし、
MVP2回、三冠王1回、オールスター選出7回、生涯打率.340の成績を残しました。
1939年に当時史上最年少で殿堂入りを果たし、
MLB史上初めて自身の背番号「4」が永久欠番に指定された選手でもあります。
1939年、36歳の時にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発病し突然の引退、
翌々年の1941年、37歳の若さで他界しています。
(ALSは現在でも治療方法のない難病で
発症後3~5年で半数以上の人が死亡しています)
甘いマスクと誰にもやさしく穏やかな性格、
彼の知的で紳士的な振る舞いは
その後ヤンキースが標榜した「紳士であれ」という
チームコンセプトのもとになったと言われています。
プレースタイルはその風貌とは対照的、
Iron Horse(鉄の馬)と呼ばれるほど強いフィジカルが代名詞で
晩年のレントゲン写真では20か所近い骨折の跡があったと言われています。
1987年に日本の衣笠選手に、
MLBでは1995年にカル・リプケン・ジュニア選手に抜かれるまで
彼の連続出場記録は不滅の大記録と言われていました。
また、単にに出場を続けたというだけでなく、
MLB史上でも屈指の大バッターであったこともあり、
彼が突然難病に襲われ、引退を余儀なくされたことは
当時、大変大きな話題となりました。
1939年7月4日の引退セレモニーの際の彼の言葉、
「私がこの2週間に経験した不運についてのニュースを
皆さんは既にご存知のことと思います。
しかし、今日、私は自分をこの世で最も幸せな男だと思っています。・・・・」
その日、引退セレモニーには球場を埋め尽くしたたくさんのファンと、
チームメートはもちろん、ライバルチームの多くの選手も駆けつけていました。
突然治療方法のない難病に侵され、
野球をすることも、家族と幸せな時間を過ごすことも奪われ、
余命いくばくもないという状態でありながら、
彼はそんななかでも、
自らのことを「この世で最も幸せな男」と言ってのけます。
この言葉は、MLBのみならず、
アメリカ、世界中においてその後語り継がれる言葉となります。
どんな困難の中にあろうとも、
自らの信じた道にひたむきに向き合い、
たくさんのライバルたちと切磋琢磨しながら
数多くの壁をのりこえていくこと。
それがどれほど尊く、素晴らしいことであるかを教えてくれています。
引退セレモニーの最後、スピーチを終え、絶句し、男泣きをしていた
ルー・ゲーリックに歩み寄り、抱き寄せたベーブ・ルース。
ルー・ゲーリックは笑顔を取り戻し、
ベーブ・ルースはいつまでも涙が止まらなかったそうです。

